組織活動を行っていく上で、問題解決をしていく上で、コミュニケーションが重要であることは、以前のブログに書いた通りであるが、多くの人が、その重要性を認識しているのに、何故、コミュニケーションが良くならないのか?について、考えてみたいと思います。
そういう私自身も、最近でこそ、年齢が高くなりあまり言われなくなった(言いにくくなったのだと思う)が、現所属会社の上司や、同僚から「コミュニケーションが悪いな~」とよく言われていた。
又、昨年実施した研修の中で、管理者と若手社員がジェネレーションギャップがあり、職場で協働しないので何とかしたいといった要望もあり、合同研修会を実施したのは、記憶に残っている。
コミュニケーションの語源は、ラテン語のcomunasで、分かち合うことと言われている。財産を分かち合うのは、コミニズムcommunismといって共産主義となる。ある人から、別の人に、できるだけ正確に情報や知識を伝えて、共通なものにするといった意味合いで、情報informationのように一方通行ではなく、双方向であることが特徴だ。
何故、コミュニケーションが重要かといった理由をもう一度確認すると、自分と相手の考え方や意見、知識の違いに気づき、話している双方に共通の新しいものが創造されるからである。単純なものから複雑なものの様々な問題解決にもコミュニケーションが不可欠なのは、このためだ。
しかし、コミュニケーションが機能するには、条件がある。
偏見や思い込みを持たずに、相手の話に耳を傾けられることが必要となる。
偏見や思い込みがあると、聞きたいようにしか聞かないし、場合によっては、聞かないように無意識にしていることもある。
昨年、私の友人が、20数年勤めたある会社を退職した。退職の際、トップと1時間位面談したが、トップは、1時間のうちのほとんどを自分自身の考え方を話すでけで、退職したいと思った理由等は、全く聞かなかったそうである。意識してか無意識かはわからないが、相手の話を遮断してしまうのは、コミュニケーションとは言わない。当然、聞きたくない話は、人間誰でも防衛的になる。
経営者も、ある一定以上になると、人の話を聞かなくなると言う。そうすると、コミュニケ―ションを、自ら遮断してしまうために、適切な問題解決や創造的な発想ができなくなる。一時期、非常に貢献した経営者も、ある段階を越えると、成果を上げられなくなるのは、コミュニケーションと問題解決の観点からも整理できる。そして、そのコミュニケーションを遮断しているには、当の本人であるということに気づかない。
自己理解がコミュニケ―ションの原点だと言われる理由がここにある。自分自身も気をつけなくてはいけないと、ブログを書いていて改めて感じました。(⌒∇⌒)
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