数年前から、“見える化”といった言葉を聞くようになった。内部統制が強化されたこともあり、何でもかんでも見える化だ!見える化は、メリットは大きい。先日、訪問したホンダカーズ神奈川中央の相澤会長からいただいた小冊子には、ホンダカーズ神奈川中央で行われている見える化がこと細かく記載されていて確かにわかりやすい。
しかし、見える化は、いかなる場合も有効だろうか?ITスキルスタンダードでは、スキルを明確にしたために、かえってSEの単価が下がったと言われている。
ということで、仏教を題材にして、見える化のメリットとデメリットについて、考えてみます。
※ちなみに誤解があるといけないので、最初にお断りしていきますが、私自身は無宗教で、宗教の善し悪しを言う立場にありません。ひろさちやさんの講演で聴いた話や、本、仏教関係の学校を卒業した知人からの情報を整理しているだけです。
何故、仏教を取り上げたかたと言うと、キリスト教と異なる特徴があるからだ。教えそのものについては詳しくないが、宗教について詳しくない私でも明らかに違う点がある。
キリスト教の聖書は、全世界の言語に翻訳されているが、仏教の場合、仏典については、外国にいってもそのままである。そうすると、聖書には、何が書いてあるのかが理解できるが、仏典は、何が書いてあるか全く分からない。だから、神秘的なのだそうだ。不思議なことだが、外国人の中には、キリスト教徒でありながら、仏教が好きな人もいるとのことである。これも、何が書いてあるかわからないからだ。もし、わかったら、両方を信じることはできないだろう。
仏教では、わからないから神秘的であるが、大昔には、そのまま訳すというより、違う形で万民に伝えることは試みられている。例えば、室町時代には、和歌の中で仏典にあるような内容が出てくる。江戸時代になると、寺子屋により「腹八分目」といった分かりやすい例えで伝えている。又、仏典がわからないから、お寺の坊さんは、難しいことをわかりやすく辻説法で庶民に伝えることで、存在感を増すことになった。
一方、キリスト教は、全て分かりやすくしているので、神秘性は低い。そうした場合、布教のために必要なのは奇跡なのである。目が見えない人が見えるようになった!といった奇跡が必要になるのである。キリスト教を新興宗教と一緒にするとキリスト教徒には怒られるが、奇跡で掌握するといった点では共通する面もある。
つまり、最初に戻ると、見える化をすることは、メリットばかりではない。返って、提供する側の価値を落としたり、無理なこじつけをしなくてはならなくなる可能性が生じるのである。
「知らぬが仏」といった言葉があるのは、知らない方が、いい場合もあるといった例えだ。同じように、何を見える化して、何は見える化しない方がいいのかを考えるのも視点が広がっていいと思う。
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